エリトリア アスマラ

アブシンベル神殿から空路15時にカイロに戻り、同日23時のエジプト航空アスマラ行きの便でエリトリアの首都アスマラに向かう。離陸してしばらくすると機内食が配られる。エジプト航空はスターアライアンス加盟航空会社だけあって味も上々。

エリトリア

皆さんはエリトリアという国をご存知だろうか。日本人にはなじみのない国で、行ったことがある人は殆どいないだろう。
エリトリアはイタリアやイギリス、エチオピアの植民地時代を経て1993年に独立し、アフリカの北朝鮮と呼ばれる独裁国家でも知られている。 観光客で訪れる人も殆どおらず、観光情報も殆どない 。 政治は独裁状態で、無期限の徴兵や強制労働、政治的弾圧が横行しており、人権侵害として国連から非難されており、サッカーの国際遠征試合でチームごと亡命するなど何でもありの国。。。
現在、特に内戦が起きていないにも関わらず、毎年数万人が国を脱出し、ヨーロッパで難民となっている。
そんなヤバさ満点のエリトリアだが、恐怖政治の影響か国内の治安は良好で、犯罪はほとんど見られず、観光は可能。

アスマラ

標高2350mに位置するエリトリアの首都アスマラは、年間平均気温が17℃の快適な気候。
イタリア植民地時代にムッソリーニが第二のローマを作ると銘打って開発された街で、現在も当時建設された建物が残り、綺麗な街並みは世界遺産に登録された。
アスマラはイタリア植民時代の遺産とアフリカが溶け合った独特の魅力を醸し出している。カトリック大聖堂とモスク、アフリカの建築物などが立ち並ぶ風景からは、独裁国家の割には異文化への寛容さが伺える。

カイロを離陸して3時間、エリトリアの首都アスマラに到着。時刻は午前3時。アフリカの真夜中をさまようのは流石に危険なので、夜明け5時まで空港に待機する。アスマラ空港は一国の空港としては最低限の設備しかなく、ベンチもない空港の玄関前で2時間待つことに。。。
夜が明けてきたが、タクシーもなく途方に暮れていると、1台のマイクロバスが市内まで行くというので乗せてもらった。代金を払おうとすると無料だと言われ、少しラッキー。バスはアスマラの中心部に止まり適当に降ろされた。

早朝のアスマラは誰も居ない

午前5時30分。次第に日が昇ってきた。

中心の広場には人が集まりだした。

夜が明けたので、本格的にアスマラ市街の散策を始める。

カトリック大聖堂

アスマラの大聖堂は、イタリアロマネスク様式で1922年に建てられた。街の中心部にあり、アスマラのランドマークとなっている。高いゴシック様式の鐘楼は、アスマラ市内のどこからでも見ることができる。綺麗な赤いレンガ作りの大聖堂を見ているとここが独裁国家エリトリアであることを忘れてしまいそうだ。

カトリック大聖堂
カトリック大聖堂

聖マリア・コプト教会

聖マリア・コプト教会

街の高台にある聖マリア・コプト教会は、アフリカとヨーロッパが融合した教会。聖母マリアを祭ったエリトリア正教の教会。
教会建築は、左右の塔と中心部からなり、塔の白い頂上部には、鐘が設置されている。教会付近には常に、修道女が集まり祈りを捧げていた。

正面の壁画がカラフルで美しい。

聖マリア・コプト教会

教会付近は高台となっており、アスマラの街が見渡せる。

聖マリア・コプト教会

教会前は広場となっており、多くの人がたむろしている。

Al Khulafa Al Rashiudinモスク

ピース・ストリートにある、正しい道の花 という意味の、Al Khulafa Al Rashiudinモスクは、第二次大戦中に建てられた歴史あるモスク。3つのドームが特徴的で威風堂々とした佇まい。

モスク正面には広場があり、タクシーや人々の溜まり場となっており、帰りはここでタクシーを拾った。

Al Khulafa Al Rashiudinモスク
Al Khulafa Al Rashiudinモスク

次は30分かけて、街はずれにある戦車の墓場に向かう。地球の歩き方も掲載しておらず、地図もないのでたただた事前情報で東に進んでいった。

この方向で合っているのだろうか。。。

迷いながらもなんとか到着。

戦車の墓地

市街中心部から2kmほど離れた広大な空き地に、エリトリアがエチオピアから独立戦争をしていた時に、破壊されたエチオピア軍の戦車が大量に積み重ねられている。特に観光地として整備されているわけではないが、莫大な廃棄兵器の量が30年にわたる独立戦争の苛烈さを物語っている。

戦車の墓地

戦車の残骸

戦車の墓地
戦車の墓地
戦車の墓地

戦車の墓場から街に戻ってきたときには、11時位になり市場で盛んに食べ物が売買されていた。とはいっても、野菜や動物丸々一匹で旅行者が買えるようなものはなく、ただ眺めるだけ。まさにアフリカという光景が広がっている。

これぞアフリカといった感じ、アジア人の僕は正直かなり浮いていたが、気に掛ける人は居なかった。

野菜類がメインで売られている。

通りは地元の人々で溢れている。

街角の店で、ジュースを買ってみた。イチゴソーダといった感じだ。

白いドームと尖塔を持つ教会があった。

メイン通り以外はそれほど人は居ない。

アスマラ市内はそれほど見るものが多くなく、14時位ですることがなくなってしまった。教会の近くで座っていると地元の人が物珍しげに話しかけてきて、日本のことを色々聞いてきた。一番印象に残ったのは、「日本には食べ物が沢山あるのか?」といった質問だった。エリトリアはアフリカ最貧国の一つで食べ物にすら困っているという状況だった。地方はもっと貧困がひどいらしい。

16時に空港に到着し、午前3時のカイロ行きの飛行機を空港の中で待とうとしたら、1日1便のカイロ行きの飛行機が出発する午前1時まで空港は閉まったままで開かないらしい。空港の外で途方に暮れていたが、空港の近くに24時間営業のレストランを発見。物資不足のためパサパサの味がないパンとオレンジジュースしかメニューが無かったが8時間近くそのレストランで過ごさせてもらった。

午前1時になると、ようやく空港に入れてもらい、いざカイロに向けて出発!
次はカイロのピラミッドを訪れる。

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