中東周遊記(ヨルダン・ペトラ遺跡編)

今日は早朝5時に起きて、3キロの道のりを1時間かけて歩き、アンマンのJETTバスオフィスに向かう。バスは6時半発で、3~4時間かけて10時位に着くらしい。

★アンマンからペトラ遺跡への移動

アンマンとペトラは230キロ離れており、JETTバスという高速バスで移動するのが一般的。座席は観光バス仕様で快適!

所要時間:3~4時間
料金:片道11ディナール(1300円)

バスの本数は少なく、1日1本。
アンマン→ペトラは朝6時30分発
ペトラ→アンマンは16時発

出発場所:アンマンのJETTバスのオフィス前
到着場所:ペトラ遺跡の入口
※到着場所はペトラ遺跡の近くなので、バスを降りてすぐに遺跡観光ができる。
ただ、アンマンの出発場所のJETTバスオフィスは、中心地から3キロ離れた7thサークルの近くにあり、 歩くと1時間、タクシーだと3ディナールかかる。
また、金曜日は運行していないので注意。

バスはアンマン市内を出て間もなく、高速道路に入り、100キロ以上で砂漠を突っ切り飛ばしていく。
アンマンからペトラまでは230キロあるが、わずか3時間で着いてしまった。9時半に遺跡に到着し、16時の出発まで7時間半も遺跡観光ができる。
チケット売り場でチケットを買うが、料金が50ディナール(6000円)とディズニーランド並みにバカ高い 。世界の遺跡の中で入場料が一番高いらしい。

ペトラ遺跡

ペトラは、死海とアカバ湾の間にある渓谷で、1985年ユネスコの世界遺産に登録された。
ペトラは昔から中東での人や物の行き交う要衝の地でもあり、ナバテア人の首都で、砂漠を移動していたキャラバン商隊の中継基地であった。
その立地条件の良さのため、紀元前1世紀ごろから、古代ナバテア人の都市として、香辛料の交易拠点として栄えていた。
紀元前64年ごろ、ナバテア人はローマ帝国の将軍ポンペイウスによりその支配下におかれ、遺跡のローマ風の建築物はこのころ作られている。
その後1800年位は住みついていたベドウィンたちが、ペトラへの出入り口を秘密にしていたため、無名だったが、19世紀になってスイス人の探検家が、ペトラ遺跡を世界に紹介し、今日に至る。

遺跡の入り口から、遺跡の最深部まで片道3時間かかる道のりを歩く。途中、ラクダに乗らないかと営業を受けるも、ぼられる気がしたので止めておいた。

ユニークな形の岩山

まずは 最初の目玉スポットである 「シーク」と呼ばれる岩の裂け目にできた薄暗このあたりから見どころが目白押しになってくる。
ここで、30歳のファーティマというイタリア人女性に一緒に観光しようと声をかけられ、一緒に観光することに。どうやら、地元民にセクハラされて不安になったらしい。

ひたすら狭い道を進む。

シークを抜けた向こうにあるのは、 ペトラ最大の見どころエル・ハズネ

エル・ハズネ

映画『インディ・ジョーンズ・最後の聖戦』の舞台となったエル・ハズネは、
紀元前1世紀頃に造られた、高さ約30mのヘレニズム様式の建物で、その使用目的は研究されているものの、良く分かっていないたしい。

近くで見ると大迫力、あまり期待していなかったが、予想以上の大迫力!
威圧感がものすごく、古代の神殿という感じが伝わってくる。

また、ここまで来て実際に行って驚いたたのは、ペトラ遺跡の規模の大きさ!ここまで1時間以上歩いたが「エルハズネ」の遺跡のさらに先にも見どころがあるらしい。一緒に観光していたイタリア人がへばっていた。

この先にも岩山をくりぬいた建造物が並んでいる。この辺りは物売りが多くて、色々めんどくさい。

最近までベドウィンが住んでいた 住居跡の洞窟 。
洞窟の内部が黒ずんでいるのはたき火をしていたかららしい。

奥に見えるのが古代ローマ時代の円形劇場。アンマンにあるものと比べると、壊れてしまっており状態はあまりよくない。

向こう側に神殿のようなものが見える。

このあたりの道は舗装されておらず、砂だらけで結構歩きにくい。

この大神殿はこのペトラ遺跡で最も大きな建造物らしい。広さはあるが、上部が破壊されてしまって高さはない。昔はさぞ大きく立派な建物だったのだろう。

今は階段と柱の根元が残るのみ。

このあたりまでくると、正午近くになり、気温が上がってきた。同行のイタリア人が本格的にへばりだす。神殿の階段を登ってみる。

岩山をくりぬいた住居が見える。

ライオンの頭のような岩。

しばらく進むと、神殿のような建造物が見えてきた。

エド・ディル神殿

この建物はエド・ディル神殿といい、アル・ハズネと並ぶペトラの2大人気スポット。ここにたどり着くにはペトラの入り口から2時間ほど山道を歩かなければならない。
この神殿は紀元1世紀頃、ナバテア王国末期に建てられた神殿であると言われており、高さは40mでアル・ハズネと同じだが、横幅は50mでアル・ハズネの28mと比べるとだいぶ広い。
中は天井が高く、広い空間が広がっている。
その大きさもさることながら、 これが約2000年も前に1枚の岩から削り出して作られたというから、言葉にならない感慨深さがある。

エド・ディル神殿 から更に10分歩くと山の頂上に至り、断崖絶壁にたどり着く。
ここがペトラ遺跡の最奥地で行き止まり。
ここは見晴らし台になっており、1本の木も生えていない赤茶けたぺトラの山々が一望できる。

時刻は12時30分、最奥地まで3時間かかったので、同じペースで戻れば15時時30分に入口に戻ってくることができ、16時の帰りのバスに間に合う。帰りは寄り道しない分行きより短い時間で戻ってこれるかと思ったが、筋肉痛になったこともあり、3時間と少しかかってしまった。帰りのバスでは疲れて爆睡。

ペトラ観光は一日10キロ悪路を歩くので、相当体力を要すると思った方がいい。また、一番気温が低い冬でも日中は30度を超えてくるので注意。

バスは19時頃にアンマンの外れのバスターミナルに到着。そこから歩いてホテルまで戻り、夕食を屋台に食に出た後、爆睡。

翌日はアンマン最終日だが、フライトは16時30分で余裕があるので、11時まで寝た後、町はずれの北バスターミナルに向かい、エアポートバスで空港に向かう。

16時30分にエティハド航空でアンマンを出発し、21時半にアブダビに到着。
1時間半のトランジットのち、翌日13時に成田空港に到着。14日間に及ぶ中東一周旅行が無事に終わった。

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