レバノン ベイルート

ブカレストからTAROM航空で深夜2時にベイルート空港へ到着。タクシーで中心部ハムラ地区のホテルに向かう。タクシーで25ドル、深夜の割にはぼられなかった。

20分程で、予約しておいたBella Riva Hotelに到着。このホテルはハムラ地区の中心部にあり、アクセスが良く、部屋も広々としてキレイ。これで5500円なのでコスパも良し。

http://bella-riva-hotel.hotels-beirut.com/ja/

翌朝、ベイルート市内を観光する。

ベイルート

レバノンはアラビア半島に付け根に位置する小国で、1年を通して気候は穏やかで過ごしやすく、また美しい雪山等の自然等の観光資源が多いので中東のスイスと呼ばれている。
首都ベイルートは、フランスの影響を永らく受けてきたこともあり、高級ブティックやホテル、カフェが立ち並び 中東のパリと呼ばれてきたオシャレな町。

レバノンは、70年代前半まで開放的な自由主義経済のもと、中東の商業、金融センターとして栄えていたが、70年代後半からのレバノン内戦で首都ベイルートは戦場と化し、80年代のイスラエル侵攻、2006年のイスラエルによる空爆で、大部分がが破壊されてしまった。近年急速に復興を遂げつつあるベイルートは、復元された新しい建物が並ぶ一方、戦争の傷跡が残っていたりと、依然として戦争の影響が残っている。

まず、ベイルートの中心部である、ダウンタウンのバブ・イドリス地区に向かう。ダウンタウンの中心部は厳重に軍が警備していて、入場者は所持品検査が行われていたが、「どこから来たか?」「日本」と答えると、日本の車や電化製品の話を色々聞かれ、最後には握手を求められ、所持品検査は無かった。ベイルートは過激派によるテロが後を絶たず、とりわけ中心部は非常に厳重な警備がされている。

警備を抜け、中心部に向かうと綺麗なモスクが建っていた。

ムハンマド・アミーン・モスク

ベイルートのランドマークといえる、美しいラピスラズリ色をした丸屋根が特徴のモスク。四本のミナレットの高さは70mでベイルートの街のどこからでも見える。このモスクは、レバノンの伝統的な様式と、レバノンを代々支配してきたマムルーク朝、オスマン=トルコ帝国の様式をミックスしてデザインされている。内部は美しいクリスタルのシャンデリアが輝く。

ムハンマド・アミーン・モスク

セント・ジョージ・グリーク・オーソドックス教会

ベイルート中心部に建つ教会。レバノンはキリスト教徒とイスラム教徒が共存しており、モスクと教会が近くに建っているのを見ることができる。

Place de l’Etoile(エトワール広場)

ベイルートのダウンタウンにある中心的広場。時計塔を中心に道が放射状に広がり
建物もすべてフランス風。このあたりの街並みは内戦で破壊されたものを復元したもので、雰囲気はまさに中東のパリ。

Place de l'Etoile

中心部の街並み。周辺にはたくさんのオシャレなカフェがある。

ビルの谷間にひっそりと建つ小さな教会。

ローマ時代の古代遺跡の跡。

ホリデイイン ベイルート

レバノン内戦で破壊されたまま残っているホリデイイン・ベイルート。

当時数少ない高層ビルだったこのホテルを、キリスト教勢力の狙撃手が拠点としたため、それに対抗して近隣の高層ホテルも対抗勢力によって占拠され、それぞれのホテルからの拠点からの攻撃が行われていた。これらの戦争は「ホテル戦争」とも呼ばれる戦闘が呼ばれている。ホテルには、無数の銃痕と、砲弾による大きな穴も開いている。戦後の復興が進み、周辺の再開発は進んでいるが、このホテルは当時のままの姿で戦争を物語っている。

ホリデイイン ベイルート

街には青空が広がり、活気にあふれている。

ベイルートは地中海に面しており、美しい海を眺めることができる。

海岸通りにはさわやかな風が吹き、ランニングをしている人を多く見かけた。

雲一つない青い空と海。ここで10年前まで戦争が起こっていたとは信じられない。

ベイルート市内は、それほど広くなく半日あれば主要なスポットは回ることができる。
昼過ぎに、15時半のトルコ航空便イスタンブール行きに乗るために、タクシーに乗り空港に向かう。イスタンブールで8時間の乗り継ぎ時間があるので観光することに。

機内から見たベイルート

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