東欧・バルカン半島縦断旅行記(ボスニアヘルツェゴビナ・モスタル編)

ドブロブニクのバスターミナルを15時過ぎに出たバスは、アドリア海沿いを30分程進み、山道に入り、ひたすら山道をぐるぐる走る。モスタルからドブロブニクは160キロだが、バスの所要時間は山道を走るため4時間と結構時間がかかる。

出発して2時間くらい経って、休憩場所に停車する。売店がありかなり物価が安く、ここで大量に買い物をしていく客もいた。

乗ってきたバス。結構大型のバス。

出発して1時間半が経った頃、クロアチアの出国審査とボスニアヘルツェゴビナの入国審査をバスの中で受ける。係員がパスポートを集め、15分後スタンプが押されたパスポートが返却される。

時刻は20時頃、すっかり暗くなった。モスタルのバスターミナルに到着。これからホテルを探さないといけない。辺りは暗く人通りも少なく治安も悪そうだ。

バスを降りる時に、前のおばさんがみかんの入った袋を落としてミカンを道にばらまいてしまった。拾い集めておばあさんに返すとお礼に1個ミカンをもらった。日本の温州ミカンのようなミカンがボスニアにもあるのか。。。

その後、道を渡ろうとすると、目の前で10歳くらいの子供が車に跳ねられて吹っ飛んでしまった。子供は受け身を取り、着地した後、何事も無かったように売店に向かいお菓子を買っていった。運転手も少し気にしていたが子供が無事なようだったので、車を走らせてどこかに行ってしまった。ボスニアは中々のカオスっぷり。

ホテルを探すが該当もまともになく辺りは真っ暗で、泊まれそうな場所もない。15分位経った後、ホテルを見つけ受付のお姉さんに料金を聞くと1泊朝食付きで40ユーロだという。これ以上宿を探すのも面倒で、綺麗なホテルだったのでここに宿泊することに。

夕食を食べていなかったので、荷物を置いて近くの売店でライムビールとアイスを買い、さっき貰ったミカンを夕食にした。ついでに夜のモスタルを観光していく。

夜の スタリ・モスト

「DON’T FORGET ’93」の礎石。93年はユーゴスラヴィア戦争の年。

スタリ・モストの近辺は真っ暗。

翌朝、ホテルの朝食ビュッフェを食べて、モスタル市内を観光する。夜は真っ暗で不気味だったが、朝は晴れ渡って綺麗な景色が広がっている。これほど夜と昼のギャップが激しい街も珍しいだろう。

モスタル

モスタルを観光するうえで必ず知っておきたいのが、1991年に勃発した旧ユーゴスラビア内戦。この内戦では、領土内に住むクロアチア系住民、イスラム系住民、セルビア系住民により血を血で洗う抗争が繰り広げられた。特に多くの民族が入り混じるモスタルは激戦地の一つになり、多くの住人が命を落し、モスタルのシンボルであったスタリ・モスト橋も破壊された。現在は創建当時の姿に再建され川面に影を落とす橋が、悲しい歴史を訴えかけえる。

スタリ・モスト

スタリ・モストとは「古い橋」という意味。モスタルの地名もここが由来。

16世紀のオスマン朝支配の時代に、橋脚のないこの形で作られた。1993年の内戦の際に破壊されてしまい、2004年にユネスコの協力を得て再建した。

モスタルは岩山に囲まれている

戦争で破壊された当時の建物

川沿いに広がる景色が美しい

スタリ・モストから歩いて数分の場所廃墟があり、そこには無数の弾痕が空いており、これはユーゴスラヴィア戦争で撃ち込まれたもの。この建物だけでなく、1993年以前の古い建物は、弾痕と思われる穴が開いている。

モスタルは小さい街で川沿いに2,3時間あれば全てを見て回ることができる。モスタルは小さい街だが、ユーゴスラヴィア戦争の悲しい歴史がたくさん詰まっており、色々考えさせられる。

12時にモスタルのバスターミナルを出て4時間かけけてドブロブニクに戻る。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA